本田宗一郎が息子を跡取りにしなかった理由とは?
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日本の実業家であり技術者…
本田技研工業(ホンダ)の創業者である「本田宗一郎」氏を知らないビジネスマンはいないでしょう。

ただ、ここで気になるのがこれほど有名な本田宗一郎氏の跡取り・一族はホンダを継がなかったのでしょうか?…
という点です。
事実、トヨタ自動車の代表取締役社長の豊田章男(とよだあきお)氏は、創業者である豊田佐吉(とよださきち)氏のひ孫にあたり、同様にして他の企業も創業者一族が重役に就いていることは珍しくありません。

そこで今回は本田宗一郎が息子を跡取りにしなかった理由とは?…
この点について考察していきたいと思います。




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本田宗一郎の(息子)跡取り



「本田宗一郎」氏はアジア人初のアメリカ合衆国の自動車電装入りを果たした方で、彼の創設した会社は現在でも日本だけでなく海外の方々にも知られています。
そんな本田氏ですが、1983年に右腕とも呼べる副社長・藤沢武夫さんとともに取締役を引退し、終身最終顧問となりました。
そのときに多くの社員が気にしたのは、本田氏の取締役の跡取りでした。

本田氏には息子が二人いて、長男は本田博俊(ほんだひろとし)さん、次男は本田勝久(ほんだかつひさ)さんといいます。
次男の勝久さんに関してはほとんど情報がないのですが、長男の博俊さんは日本大学の理工学部に入学後、芸術学部に転学し、卒業後は「無限(M-TEC)」という、ホンダ車用のアフターパーツの製造や、レース用エンジンの開発を行う会社を設立しました。

その後日本国内のレース大会に部品を提供するなどして参加しますが、2003年に副社長の広川則夫(ひろかわのりお)さんとともに法人税違反で逮捕されてしまいました。
ですが現在でも精力的とは言えませんが自動車にはかかわっているようで、2016年のモナコ公国のレースの20周年記念パーティに出席するなどしています。




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本田宗一郎が息子を跡取りにしたかったワケ

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そんな息子がいた本田氏ですが、二人のどちらも跡取りには選びませんでした。
社員の何人かには、「2人のどちらかを次期取締役にしてはどうですか?」と相談があったそうですがそれをすべて断り、河島喜好(かわしまきよし)さんを次期取締役に任命しました。

なぜ2人を跡取りにしなかったのか?…
その理由は「息子」だったからです。

本田氏は、自身が引退するときにこう言っています。

会社は個人の持ち物ではない。だからこそ、私は身内を入社させないと決めたのだ。

と。

確かに会社は個人ではなく人が所属する場であるため持ち物ではありませんが、当時では世襲制にしなかったのは少しめずらしいことでした。
こういった理由で身内を入社させなかった本田氏なので、自分の名字を会社の名前にしたことも公開していたそうです。

厳格で真面目な本田氏ですが、社員に恐れられるほど厳しい人だったそうです。
しかし社員を叱ったことを悔いて後でなくなどとても思いやりのある人でした。
そのため、厳しい理由で次期取締役を決めても社員もしっかりついていくことができたのでしょう。

多くの社員のことを思って最後まで行動し続けた本田氏は、1991年に肝不全によって亡くなりました。
ですがその意思はホンダの多くの社員に受け継がれ、これからもより良い自動車を生み出し続けるでしょう。

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この記事の著者

mensedgeMEN’S EDGE編集部

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