似鳥昭雄…「ニトリ」の壮大なビジョンとロマンを語る

CMでもご存知…
「お、ねだん以上。」のフレーズでおなじみのインテリアショップ「ニトリ(株式会社ニトリ)」。
本社のある北海道から国内386店舗と台湾に26店舗を展開し、30期連続の増収(2017年4月現在)と快進撃は止まりません。

ニトリ最大の魅力といえば「安さ」でしょう。
安さの理由は徹底したコスト削減です。

原材料はアジア、欧州、南米と世界中から調達…
販売だけでなくインドネシアやベトナムなどの海外自社工場で家具を製造し、物流まで行います。

創業者・似鳥昭雄氏は2013年の雑誌インタビューで「日本はデフレと言っても、まだまだモノの値段が高い。だから安さを追い続けます。」と断言しています。

似鳥氏がニトリの前身「似鳥家具店」を創業したのは1967年のことでした。
大学卒業後、住み込みで広告会社の営業として働くも契約が1件もとれずにクビになり、もう自分で商売をやるしかないと腹をくくります。

父親から「人の3倍働くか、人のやらないことをやるかだ」と言われたこともあり、その地域にはなかった家具店をオープン…
しかし、最初は赤字続きで朝昼晩インスタントラーメン生活を強いられ、栄養失調にもなったといいます。

当時の似鳥氏は極度に緊張しやすく商売には不向きな性格でした…
そんな似鳥氏をフォローしたのが結婚したばかりの妻だったのです。
人から好かれやすい妻のおかげで店は大繁盛…
似鳥氏は似鳥氏で安く売れる商品探しや配達に精を出し、まさに夫婦二人三脚で切り盛りしたのです。

欠点あるを喜べ…
「人は欠点ばかりではなく、いいところも必ずある長所を探せばいいんです。」と似鳥氏は言います。

ちなみに、当時の看板には「似鳥家具卸センター 北支店」と店名表示していました。
「卸」で「安そう」、「センター」で「大きそう」、「北支店」で「本店が他にもありそう」と思わせたかったからとのことです。




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似鳥氏が初めて訪米したのは1972年…
店があと半年で倒産するかもしれないという危機的状況のときだったのです。

しかし、商品価格が日本の3分の1…
同じくらいの収入で豊かな生活を享受しているテメリカに驚愕・感動したのです。
この経験は似鳥氏に世界一の家具チェーンを目指すことを決意させ、以来、「アメリカ並みの豊かな暮らしを日本でも」が口ぐせになりました。

日本に戻ってきた似鳥氏は、アメリカの店を参考にして品揃えを変更…
するとと売り上げが飛躍的に伸び、倒産の危機を免れることができました。

さらに「価格」、使う人(客)の立場に立った「品質機能」、そして「コーディネートしやすい品揃え」で欧米レベルに近づくという志を立てるととも、店舗数が100を超えるとチェーンストアのメリットが出てくることから、当時2店舗しかなかった店舗を30年後に100店舗、売り上げも1000億円にするという目標を掲げたのです。
このとき立てた志は、現在に至るまでまったくぶれていません。

日本全体がバブルに浮かれていたときも似鳥氏は安さを追求し続けました。
「デフレ時代の申し子」のように言われるニトリですが、不況で今のスタンスに変わったわけでは決してないのです。

また 品質機能やコーディネートに関しても、一貫して「日本は使う側に立った品質機能がまだまだ足りない。コーディネートもできていない。」と言い続け、改善に取り組んでいます。




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似鳥氏がよく口にする言葉に「ロマン」と「ビジョン」があります。
似鳥氏曰く、仕事をする上で一番大切なのはロマン、次にそれを実行するためのビジョン…
人はロマンやビジョンさえ与えられれば、世の中のために役に立ちたいと思うようになるといいます。

ニトリでは社員を毎年アメリカに研修に行かせていますが、それもアメリカの豊かさを実感してもらい、ロマンとビジョンを社内で共有するのが目的なのです。
ちなみに、2011年は全社員約3300人のうち約640人が研修旅行に参加(パートタイマーも含む)、1回につき2億円かかることもあるそうです。

壮大なロマンを声高に主張し、そのためのビジョンを実践してきた似鳥昭男氏…
次なる目標は「2032年に3000店舗、売り上げ3兆円」(2013年12月時点)だといいます。

日本人の暮らしがアメリカ並みに豊かになの日まで、歩みを止めることは決してないでしょう。
エッジの効いたビジネスマンであれば、株式会社ニトリ創業者・似鳥昭雄氏に学ぶところは多々あるのではないでしょうか。




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