ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(以下、単に「ドラッカー」)は定年になったとたん抜け殻にならないためにも、セカンドキャリアへの助走を現役のうちからしておけ…
というような主旨のメッセージを残しています。
まだまだ働きたい人にとっては、定年は強制的な退場処分のようなものです。
しかし、それを「職を失う」というマイナス思考でとらえるのではなく、「新しいキャリアへの出発点」とポジティブに考えることが、人をさらなる成長へと促すことにもなります。
今回はドラッカーが語る「セカンドキャリアの重要性」について、お話したいと思います。
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ドラッカーが語る「セカンドキャリアの重要性」
第一の仕事と第二の仕事が畑違いであっても、もちろんかまいません。
平均寿命も延びて、その気になれば「一生のうち二生(職)を生きる」ことができる時代です。
伊能忠敬(いのうただたか)などは、まさにその典型例といえるでしょう。
地方の篤実(とくじつ)な名主であった伊能忠敬は、人生50年といわれたその50歳で突然、家督(かとく)を子供に譲り、江戸に出て20歳も年下の幕府要人の弟子となって西洋暦学や測量術を一から学び始めます。
そして、50代半ばから70歳を超えるまで日本全土を歩き続け、ついに日本地図の作成という歴史に残る偉業を成し遂げるのです。
あまりに壮大な隠居仕事…
これほどあざやかではなくても、意欲と熱意さえあれば、第一の人生と第二の人生の色彩をがらりと変えてしまうようなチェンジキャリアが可能な時代に私たちは生きているのです。
たしかな趣味を持つ、ボランティア活動に打ち込む、本業とは別にもうひとつのセカンドキャリアを持つことは生き方を多様にし、確固たるものにしてくれるのです。
ちなみに第二のキャリアを見つける大切さには、もうひとつ理由があるとドラッカーは述べています。
それは、本業で挫折したときに、第二の仕事が挫折感や失敗から救う働きをしてくれるからだと言うのです。
例えば、40代の技術者が日進月歩の技術進展についていけず、リストラ対象になったとします…
世間一般からすれば、彼は成功者とは言えないかもしれません。
いわゆる、「負け組」の苦渋を味わうことにもなるのではないでしょうか。
しかし、彼にもし確たるプラスアルファがあれば、その挫折感を中和することができます。
技術者としては成功しなかったかもしれませんが、たとえばボランティア活動に生きがいを見い出し、社会貢献もできるのであれば、そこで彼は本業の行き詰まりを十分に解消でき、新たな人生に踏み出していけるのです。
複線的なキャリアを持っているということは、いわば二本足で立っているようなもの…
右足が疲れたら、左足に重心を移せるし、強い逆風のときには両足をしっかり地に着けて踏んばることができるのです。
その結果、逆境に強く、また柔軟に対応していくことができます。
キャリアによって人は成長し、充実した人生を送ることができますが、ドラッカーは、この成長には「内なる成長」と「外なる成長」の2つがあると言っています。
内なる成長とは、能力やスキルの習得です。
外なる成長とは、人間として器を大きくすることです。
この2つを偏ることなく、並行してめざすことが大切なのです。
それには、➀仕事に真剣に取り組む、➁責任ある存在になる、➂自信を持つ…
という3つのサイクルをスパイラル状に繰り返すことが重要だとドラッカーは述べています。
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