徳川幕府第5代将軍・徳川綱吉…
この人物に関しては、今まで以下のようないい方がされてきました。
「将軍に就任してから3年間は天和の治と呼ばれる善政を敷いたが、貞享年間以後に“生類憐みの令”という稀代の悪法を出した。この法律のもと、綱吉は犬を傷つけた者を死刑にするなど庶民弾圧の悪政を敷いた」と。
これは完全な誤りなのです。
「生類憐みの令」は当初、捨て子、捨て老人、捨て馬などに対する規制だったからです。
この頃はまだ戦国の遺風によって殺伐とした空気が色濃く残っており、人も馬も役に立たなくなると野辺に捨てられ、江戸市中では「かぶき者」と呼ばれる無頼の輩が横行し、所かまわず暴力沙汰を起こしていました。
生類憐みの令は、生きとし生けるものを大切にすることで、戦国の遺風を一掃しようとした政策の一環だったのです。
「生類憐みの令」に対する誤解の中で、犬が特にクローズアップされるのは、綱吉が野良犬対策に力を入れたからです。
綱吉の就任当時、江戸は野良犬の害に頭を悩ませていました。
横行する野良犬たちはゴミを荒らし、人を噛み、捨て子を嚙み殺すこともあったのです。
野良犬の汚いキバで噛まれれば、傷が化膿して命に関わることもあります。
野良犬対策は急を要していたのです。
綱吉が江戸近郊に開設した野良犬収容施設「御囲(おかこい)」は、江戸の人々を野良犬の害から守るためでした。
これが犬を過剰に保護しているように世間には映り、「犬公方」との揶揄が生まれたのです。
「法律を厳格に守り、国民に対して憐み深い君主」と、元禄5年(1692年)、綱吉に謁見したドイツ人医師ケンペルの「日本誌」の中に、そう記述が残っています。
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