日本人なら誰もが知っている「奈良の大仏」…
もちろん、奈良時代の天平勝宝4年(752年)に開眼供養がなされた東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)をのことです。
インド人僧・菩提遷那(ぼだいせんな)が開眼導師を務め、聖武上皇・光明皇太后、孝謙天皇列席のもと、官人と1万人の僧が参列して行われた式典は、当時にあっては東アジア随一の仏教イベントであり、仏教立国として日本のありようを内外に示したものでした。
実は、この東大寺の大仏を模した仏像が、現在の千葉県市原市にあるのです。
造立(ぞうりゅう)したのは平安時代の初期を生きた坂東(関東の古称)武者・平将門(たいらのまさかど)です。
将門は10世紀前半から一族と争い、承平5年(935年)には伯父の国香(くにか)を殺して所領を奪取しました。
事件は一族内の争乱として処理されるものの、将門が関東の国衙(朝廷の出張機関)を襲撃…
将門は、朝廷に重い負担を強いられて苦しむ関東人から支持を集めて、「新皇」を称して坂東を独立国化しようとしたのです。
朝廷も黙っておらず、天慶3年(940年)将門を逆賊として討伐しました。
仏像は将門が新皇を名乗って京を模した都を造った際に、造立されたと伝えられています。
独立国たる坂東の存在感をアピールする意図があったのでしょうか…
将門以来、関東の奈良の大仏は何度か作り直され、現在は江戸時代後期造立の釈迦如来石像が建っています。
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