デキる男の美学は「集団主義」から一日でも脱却すること

目次

男であれば、デキない男よりも「デキる男」になりたいと思います。
しかしデキる男になるのは様々な条件があり、簡単にいきません。

中でもデキる男は一種の「美学」のようなものを持っていたりするもの…
そこで今回はデキる男の美学として「集団主義」からの脱却についてお話しましょう。




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男が美学を持つ意味とは?


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男性はある程度の年齢になったら、自分なりの美学を持つべきです。
美学は人生観とも関係してくるが、「絶対にこれだけはやらない」とか「他人が何と言おうともこれだけは守る」といった一種の拘(こだわ)りのことです。

日本には「武士は食わねど高楊枝」という男性(侍)の強がりの言葉があります。
強がりはやせ我慢と同じですが、日本ではそれが美学に通じます。

ちなみに中国では「渇しても盗泉の水は飲まず」という言葉もあります。
盗泉は「盗んだ水」ではなく、山東省泗水県に実際にある泉の名前です。

孔子はこの泉の水を飲まなかったと言われています。
理由はこの泉の「盗む」という名前が自分の美学に反したからだそうです。

このように鋭い感性の持ち主ほど、独特の美学を持っているもの…
つまりどんな美学を持っているかで、その人の感性や品格が現れるものなのです。

もちろんモテるためだけの美学ではなく、違った美学もあります。
例えば生きた傷跡を残そうとする人です。

そういった人は地位や名誉を重んじ、人から後ろ指を指されないようにする努力をするもの…
できるだけ大勢の人に良い記憶が残るように、良いことをする努力をするからです。

そういう生き方も人を喜ばせたり、人の役に立ったりするのです。
なぜなら少なくとも人の迷惑なることは避けようとするため、品格の高い人生になります。
美学を信奉する者は自ずと正しい方向へと導かれ、品性を高めざるを得ないものなのです。

デキる男であれば、そんな男の美学を1つや2つは持ち合わせていなければいけません。
美学はその人の人生を彩り、大きな喜びや生きがいを与えてくれるシロモノなのです。




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群れないことが男の美学


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特に日本人は「集団主義」が得意と言われています。
中国では「中国人は一人なら龍だが三人だと豚」、逆に「日本人は一人なら豚だが三人だと龍」という言葉があります。
この言葉こそ、日本人が集団主義を重んじ、また集団主義が得意な民族であることを示していると言えます。

しかし歴史を振り返ると、集団主義がいつも成功してきたわけではありません。
集団主義が弊害になってしまった失敗例もたくさんあるからです。

例えば集団主義だと決定が遅れる…
ということがあります。
大事なことはじっくりとみんなの意見を聞いて決めなければなりませんが、その決定にあまりに時間が掛かり過ぎてしまうと機を逃してしまうことがあるからです。

日本は外圧以外で変われない…
というのも集団主義の弊害と言えるでしょう。

男の美学からすると、また今の時代に必要なことは極端に「群れないこと」だと言えるでしょう。
人は基本的に個人として存在し、群れないで生きることを覚えることで社会に適応していくものなのです。

しかし、この群れること…
集団主義を全面に押し出した生き方をしていると、結局は自分で何もできない男になってしまいます。
さらに、こういう人はいざという時に何もできないだけでなく、何か失敗や嫌なことがあると、人のせいにしてしまう傾向にもあります。

人生は自分のものです…
集団主義の中や価値基準で物事を考えるのではなく、どのような結果が出たとしても自分で受け止める覚悟を持った美学をデキる男であれば持っていて欲しいものです。




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