「士農工商」の身分制度は単なるプロパガンダだった?!
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ひと昔前まで、「江戸時代は士農工商の身分制度の時代」という説が唱えられていました。
皆さんのも歴史の授業でこのように習ったのではないでしょうか。

武士が支配階級として身分の頂点にあり、農民は食糧かつ石高制社会の維持に必要なコメの生産者であるから武士の次にえらく、生活に必要な諸道具を作り出す職人がこれに次ぎ、モノを売り金銭を動かすだけの商人は一番下というものです。

しかし、実際はこうした階級の序列はなかったのです。
江戸時代初期の陽明学者・中江藤樹(なかえとうじゅ)は「翁問答(おきなもんどう)」の中で「士は政の諸役をつとむる」とし、「農工商はおしなべて庶人のくらゐなり」と記すのみで、農工商の序列には触れていません。

士農工商とは身分ではなく、業種による分け方にすぎなかったのです。
これは江戸時代初期の寛永13年(1636年)ごろに成立した仮名草子「可笑記(かしょうき)」にも「士とは奉公人、農とは百姓、工とは職人、商とはあきんどのこと。これ以外のものは何の用にも立たず、ただ鼠のごとし」とあります。

武士の身分に生まれながらそれを捨てた者、逆に武士以外の身分に生まれたが金や功績などで武士身分を認められた者もいます。
士農工商の身分制は、明治維新後に明治政府が前の時代をおとしめるために行ったプロパガンダ(特定の主義・思想についての宣伝)のひとつであり、これにより間違った認識が定着したのです。




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