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通常の男女であれば、思春期を過ぎれば恋をしたいと思うようになります。
しかし、その恋…
つまり「恋愛」に関して深く考えている人は意外に少ないように思います。
特に男性の場合は性欲の延長上に恋愛があると考えている人も少なくないのではないでしょうか。
そこでデキる男ならではの「恋愛のセンス」や「恋愛とは何か?」…
という点に考えてみましょう。
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恋愛に「センス」が必要?!
センスという言葉を辞書でひくと「物事の微妙な感じ、あるいは意味をさとる働き」…
と出ています。
つまり「違いを見分ける能力」だと言えます。
恋愛はこのセンスというものがすごく大切なのです。
極端な言い方をすれば、こちらのセンスとあちらのセンスのぶつかりあいが恋愛というものなのです。
もちろん、根底にはお互いが好きという感情があるのは言うまでもありません。
好きだと相手のすべてが知りたくなるもの…
だからこそ付き合うわけですが、大人の付き合いは、いきなり子ねこのじゃれあいみたいな具合にはいきません。
そこに至るまでのプロセスがあるからです。
そのプロセスこそセンスが問われるのです。
そこで合格点を取った者同士がじゃれあいの世界に入るということですね。
しかし、それが終われば、また事後のプロセス、継続のプロセスが大切になってくるのです。
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恋愛は過大評価されているのではないか?
大人の恋愛とは手間隙がかかるものです。
それゆえセンスが問われることになるのですが、センスにはいろいろな要素が必要になってきます。
それがどんなものか一概には決められませんが、一つの目安として、世界で一番洗練されている言語をもつフランスを例に挙げてみましょう。
作家フランソワーズ·サガンが死んだとき、「彼女こそパリ的そのものだった」という論評が新聞に載ったことがあります。
さて、ここで言うときの「パリ的」とは何か?…
その論評に関して筆者は次の七つの要素を挙げました。
「繊細」、「洗練」、「優雅」、「素朴」、「才気煥発」、「孤独」、「諧謔(かいぎゃく)」…と。
この七つの要素をサガンはすべて備えており、それはパリそのものだったというのです。
恋愛を高度の遊びと考えるとき、パリ的要素というものは、考慮されて良いのではないかと思います。
少なくともセンスある大人同士の恋愛とは、こういう要素が加わった世界で展開されなければ面白くも何ともないのです。
今、日本のマスコミが伝えている著名人の恋愛報道にも、ほとんどこうした要素は加味されていません。
誰と誰がくっついたとか離れたとかか、お泊まりだとか、豪邸だとか、そんな話ばっかりです…
こういうことになるのはなぜか?…
男も女も思春期になれば性の欲望は出てきます…
だからカップルになって関係を持つことは不思議でも何でもありません。
しかし、そのカップルがすぐに恋愛していると思うのは間違いなのです。
このことは漫画家のさかもと未明さんが新聞のコラムでこのように書いています。
「最近あちこちで『恋はしてないの?寂しくないの?』と言われる。
かねてより不思議に思っていたのだが、なぜに巷間ではここまで恋愛を過大視するのであろうか。
恋とはもともと、人が親を捨て、友人や社会を裏切っても貫きたいと思うような、極めて危険な情熱のことだ。
普通に結婚して幸福を得、子供たちが安心して成長できる場を営むためには、本来恋愛などは『できるだけしない方がよろしい』はずである」と。
つまり世間は恋愛を過大視しているのではなく、恋愛ではない男女の結びつきまで、恋愛の範囲に入れてしまっているのです。
こういう事になったのは、結婚するには恋愛でなければダメ…
というような風潮をつくってしまった社会に責任があるのです。
恋愛はしようと思ってできるものではありません。
あえて言うなら「交通事故のようなもの」…
ただ、遭ってみたいと思う人がこれだけ多い交通事故は他にはないでしょう。
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