いじめにおいて傍観者と観衆にも同罪の意識を持たせる指導が必要?!
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いつの時代もいじめはなかなかなくなりません。

いじめが原因で自殺に追い込まれるなど、最悪の場合、死に至ってしまう事件はニュースでもよく目にします。

「いじめは良くない」、「いじめは絶対にやってはいけない」
きっと多くの人がこのように思っているかもしれませんが、口で言うのは簡単。
しかし、実際に問題を解決するのは並大抵のことではなく、非常に複雑で大変な課題です。

これまで数多くの関係者や専門家が、膨大な時間と労力を割いてこの問題に取り組んできました。
学校でも生徒同士がいじめについて議論する場が持たれています。
メディアもいじめ問題を大きく取り上げるなど、社会全体が一丸となってその撲滅に取り組んでいるようにも見えますが、一向にいじめがなくなる気配はありません。

そう簡単に解決できる問題ではないかもしれないが、現状が全く変わらないのはなぜなのか。

その原因の一つとして、加害者と被害者以外の周りにいる人間が大きく関わっているのです…




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いじめにおいて傍観者と観衆にも同罪の意識を持たせる指導が必要?!


なぜいじめは、なかなかなくならないのか。

その原因の一つとして大きく関わっているのが、多くの人が「自分もいじめに参加している」ということに無自覚でいるからです。

いじめ問題を考える時、一般的には加害者と被害者、この二者が注目されます。
しかしこれだけでは「加害者が悪い。被害者がかわいそう」という表面的な部分しか語られず、問題の深層を掘り下げることができません。

いじめる側、いじめられる側だけのシンプルな問題ではなく、現実の世界ではもっと複雑な事情が絡んでいます。
いじめに関与しているのは、決して加害者と被害者だけではありません。
見落とされがちですが、次の二者も加担しているのです。

・「もっとやれ」と囃(はや)したてる「観衆」
・見て見ぬふりをする「傍観者」

いじめ問題が難しいのは、この四者が複雑に絡み合う構造になっているからです。

「直接いじめに関わっているわけじゃないから自分は善良グループの人間だ」と思っている方も多いのではないでしょうか。
もしあなたもこのように感じているなら、あなたもいじめの攻撃性や陰湿性を高めている当事者の一人です。

被害者の側からは、他の攻撃者と同じ「冷酷な人間」に映っているかもしれません。

2015年2月、川崎市の多摩川河川敷で中学1年生の男子生徒が刃物で殺害されるという大変痛ましい事件が発生し、連日ニュースで取り上げられました。
この事件でも四層構造になっているようです。

・加害者=逮捕された少年グループ
・観衆=少年グループの仲間たち
・傍観者=大人たち、無関心だった生徒
・被害者=亡くなった男子生徒

大人たちがこの事件を止めることができ、この男子生徒の命を救うことができたのです。
しかし大人たちは男子生徒が発するSOSをキャッチしていながら、深刻に受け止めず傍観者になってしまいました。

学校側が努力を怠っていたというのではありません。
先生が男子生徒宅に家庭訪問をしたり、本人に連絡を取ろうとしたりという試みは繰り返されました。
しかし、当事者であるという意識が薄かったのではないでしょうか。

「自分も傍観者のままでいたら彼を傷つけることになる」、「このまま見て見ぬ振りで何もしなかったら、加害者と同罪になる」
という当事者意識をしっかり持っていれば、もっと踏み込むことができたはずです。

傍観者も攻撃者の一人です。
「いじめをする奴はひどい」、「被害者がかわいそう」などと思っているだけでなく、まずは一人ひとりがその認識を持って、いじめに気づいたら行動に移すことが大事なのではないでしょうか。




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