昨今の若い人たちから漏れ聞こえてくる言葉といえば、どんなものがあるでしょうか?…
例えば、このようなものが挙げられるかと思います。
「日本を覆う閉塞感をどうにかして欲しい」…
「この不況では何をやってもうまくいかない」…
「やりたいことをやれる会社がない」…
「政治が何も問題を解決してくれない」…
「こういった環境の中で子どもを生んでもいいのだろうか」…
総じて「嘆き」や「心配」ばかりのような気がします。
気持ちはわからなくもありませんが…
今の日本やこれからの日本の経済・政治を考えるとき、正直いって明るい材料はあまりありません。
少子化はますます進み、日本経済がさらに縮小していくことは間違いないでしょう。
また、まともな政治がなされるようになるメドもあまり見えません…
そういった意味で、今の若い人たちが時代に恵まれなかったとも言えるでしょう。
だからといって、すべてを「時代のせい」にして、自分が幸せになれない理由をそこに押しつけても、何も変わりません。
皆さんは、「渋沢栄一」という人物を、ご存じでしょうか?…
デキるビジネスマンであれば、名前くらいは聞いたことがあるかと多いと思います。
渋沢栄一氏は幕末の日本に生まれ、明治維新を経験したのち、500社以上の会社の経営・設立にたずさわったという経歴の持ち主です。
そのため「日本資本主義の父」と呼ばれています。
渋沢氏は1840年、農民の子として生まれました。
封建時代に農民として生まれたということは、用意されているのは農民として終わる運命の人生です。
ところが彼は若くして武士になるべく出奔(しゅっぽん)します。
そうして一橋慶喜(徳川慶喜)…
後に江戸幕府最後の将軍となる人物の家臣になりました。
当然、その後は幕臣として慶喜を支え、1867年には慶喜の弟に随行してフランスのパリ祭に足を運んでいます。
そこでヨーロッパの商業や経済、軍事を習い、見聞を広めて帰ってきたわけですが、その知識を十分に振るう前に、明治維新が起こってしまいました。
彼は自著の中で明確に、明治維新が自分にとって「逆境」であったと書いています。
明治維新によって多くの若者たちが自らの手で活躍の場を切り開いた一方で、幕臣であった渋沢氏にとってそれは「逆境」でしかなかったのです。
そのハンデを背負いながらも、彼は自らの能力と見聞でもって、その後は経済の分野で活躍していくことになります。
ここで何が言いたいか?というと、結局「頑張る人は頑張る」ということなのです。
環境や状況やその他の様々な事情に関係なく、「やる人はやる」ということですね。
政治がふがいなくとも、会社が頼りなくとも…
仕事ができる人は常に結果を出すものなのです。
だから「できない理由」を探しているヒマがあったら、まず、できることから始めてみましょう。
頭角を現す人間になれるか、その他大勢の中の一人で終わるか…
その分岐点となるのは、常に「できる方法」を探すか、いつも「できない理由」を探すか、という点なのではないでしょうか。
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