ハイエクの「新自由主義」とは何か?わかりやすく考察する

オーストリアの首都・ウィーン貴族の名家に生まれたハイエク(フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク)は、青年時代に社会主義へ傾倒しましたが、のちに社会主義に激烈な批判を浴びせる立場に転じました。

大戦中の1943年に発表した「隷従への道」では、部分的な計画経済ともいえるケインズ政策や基幹産業の部分的国有化に至るまで、あらゆる形態の社会主義を否定するというラジカルな主張を行っているのです。
それは社会民主主義的な施策であっても、自由な市場経済にとり入れれば、全体主義への道筋となるという考え方でした。

そんなハイエクの理論の核となっているのが「自生的秩序」という概念…
ハイエクは、たとえば言語や貨幣、法、市場といった社会の重要な制度は、計画的に設計されてできたものではなくいわば自然な人間行為の歴史によって非人為的に形成されてきたものだと考えていました。

ハイエクはこの形成過程を自生的秩序と呼び、社会を理性的、計画的に組み立てられるとする考えを「設計主義」として、この両者を対立させたのです。

こうした自生的秩序を市場の本質とみなす考え方からは、社会主義だけでなく、貨幣制度にも批判が向けられます。
ハイエクは、インフレを抑えるためには、一切の中央銀行制度を廃止し、あらゆる銀行に通貨発行の自由を認めよという提言を行いました。

これは、貨幣を政治的に管理しても安定した秩序をつくることはできない…
自由競争・自然淘汰に任せればうまくいくという考え方に基づくものです。

こうしたハイエクの自生的秩序の概念は、やがてデモクラシー批判に向かいます。
本質的な自由は社会の自生的秩序によって形成されるもので、個人に無制限な権力を与えるデモクラシーは、自由の自生的秩序を破壊する権利を与えるものだ、というのです。

言い換えると、デモクラシーは制限されなければ、真の自由を獲得できない…
これが、徹底して「人間の理性」を疑ったハイエクの到達した「自由主義」の形なのでした。




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