商人の町・大阪発の入手困難なバウムクーヘンと言えば、「マダムシンコ(バウムクーヘン・マダムブリュレのマダムシンコ)」でしょう。
その 生みの親であるマダム信子こと、川村信子さんをご存知の方も多いのではないでしょうか。
人目を引く美しい顔立ちにヒョウ柄の衣装、明るくてパワフルなキャラクター…
テレビにもたびたび出演しています。
川村さんは1951年、島根県に生まれました。
小学生のときに一家そろって大阪に移住…
本人曰く「当時はハングリー精神の塊だった」そうですが、現実は厳しいものでした。
夢と希望を持って大阪に来たものの、6畳と2畳の2間に家族9人で暮らし…
相変わらずの貧しい生活だったといいます。
目の前に流れる汚い真っ黒な運河を見た川村さんは、「この運河のような人生がまた始まるのか」…
と暗澹(あんたん)たる気持ちになったといそうです。
川村さんは18歳で父親が勧めた男性と最初の結婚をしますが、2年後に離婚…
それを機に喫茶店を開業するとたちまち評判となり、勢いに乗って高級クラブ、ゲーム喫茶経営や宝石販売などの事業も手がけるようになりました。
しかし、大阪で成功しただけで満足する川村さんではありませんでした。
日本一の歓楽街・銀座で勝負したいと、37歳のときにすべてを捨てて単身上京します。
一か八かの賭けでしたが、川村さんは銀座でもナンバーワンのホステスになるのです。
わずか9か月後には自身の店「銀座シンコ」までオープン…
川村さんの人柄に加えてバブルという追い風もあり、財政界の大物が集まるクラブとして成功をおさめたのでした。
これで彼女の実業家としての手腕が本物だと証明されたのです。
バブル崩壊後は大阪に戻り、焼き肉店を経営…
しかし狂牛病問題や不審火による店舗全焼事件などで、一時は6万円の借金も返済できないほど追いつめられましたが、2006年にマダムシンコをオープンすると起死回生の復活劇を果たします。
どん底の時期も再び成功を掴んだときも、川村さんの横には常に夫で社長の幸治さん(川村は会長)がいました。
ちなみにバウムクーヘンを選んだ理由は、幼いころ食べることができなかった憧れのお菓子だから…
母親が代わりに作ってくれた大好きなホットケーキを連想させてくれるというのもあったといいます。
空き巣の被害総額が3億円…
ヒョウ柄のインテリアに囲まれた600坪・5億円の豪邸や推定価格3500万円の超高級車をテレビで披露…
とかく派手なエピソードばかり注目されがちですが、経営者としての川村さんは別の一面を見せています。
「自分が調子に乗ると社員も調子に乗り、会社は駄目になる」…
というのが川村さんの持論で、会社にとってマイナスになることを言われないように、誘われた場合を除いて仕事を終えたら真っすぐ家に帰るというストイックさも持ち合わせています。
また、会社の年商が20億円を超えた時でも自分で経理を行い、経費もすべて把握しています。
川村さんにとっては1円も100億円も同じお金…
どんな小額でも無駄な出費を許すことはできないのでしょう。
「A・T・M(明るく・楽しく・前向きに)」という基本姿勢を貫きつつも、様々な体験をしてきた川村さんは人生の厳しさを人一倍知っています。
それだけに今後も手綱を緩めることなく、絶品スイーツを日本中に届けるために奮起する日々が続いていくはずです。
エッジの効いたビジネスマンであれば、マダムシンコの川村信子さんから学ぶことが多々あるのではないでしょうか。
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