あなたの周りにもいませんか?
そんなに騒ぎ立てるような問題でもないのに、あたかも大変な問題かのようにすぐに問題を大きくしたがる人が…
職場でも、近所の人でも、こういう人が近くにいると周りからみれば迷惑な存在です。
例をだすとすると、よくあるのがゴミのトラブル。
ゴミはきちんと分別して、指定の袋、曜日、場所に出すのが一般的なルールで、みんなが守らなくてはなりませんよね。
しかし、だからといって他人のゴミ袋を勝手に開いて中身を確かめ、「◯◯さんの家はきちんとゴミの分別をしていない」と周囲に言いふらすのはやりすぎです。
このように小さな問題でもすぐに大きな問題にしたがる人は一体何を考えているのか、そして何が目的なのでしょうか…
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すぐに問題を大ごとにしようとする人は承認欲求が強い件
職場でも小さなことをすぐに大きな問題にする人がいて困っている、という人も多いかもしれません。
ちょっとしたミスでも「始末書を書け」。
そんなに高い金額でもないのに「ちゃんと稟議を通せ」。
このように言ってくる上司がいると、周りはどんどん疲弊していきます。
このような人には自分に自信がない人が多く普段自分の見せ場がないため、周りに起こった小さな問題をすかさず拾い上げ、必要以上に問題を大きくして自分の存在を大きく見せようとします。
実は問題を大きくする人には、それによって自分の存在を大きく見せたいという「承認欲求」があります。
「承認欲求」とは、自分をもっと認めてもらいたいという欲求です。
1の問題を10の問題にすることで、自分という存在を大きく見せようとしているのです。
なかには、自分で問題を作って、自分で解決策を示すようなパフォーマンスを見せる人もいます。
「今こういう問題があって、私ならこうしますけど」と突きつけ、自分以外には解決することができないかのように思い込ませます。
そうすることで、自分の重要性を誇示したいのです。
悪質なクレーマーもこれと同じです。
コンビニ店員を土下座させた事件が典型例です。
店員の態度が悪いと騒ぎ立て、問題を作る。
土下座しろ、タバコを寄こせ。
そうすれば許すと自ら解決策を提示する。
挙句の果てに裏社会の名刺をちらつかせるなどしていましたが、すべては自分を大きく見せようという承認欲求からくるものです。
承認欲求のおおもとには「自己愛」があります。
ラ・ロシュフコーは自己愛についてこう述べています。
「ちょうど、われわれの目に似ている。何でも見えるが、自分自身だけは見えない」
つまり自己愛の強い人は、周りのことに結構関心があるのですが、周囲の人の目に自分がどう映っているのかがわかっていない。
問題を大きくして騒ぎ立てる人はまさにこれに当てはまります。
さらに自分の行いは常に正しいと信じているので、こういう人に助言や苦情を言っても無意味です。
聞く耳を持っていません。
こういう人に出会ったらどうしようもありません。
自分が痛い目に遭うまでは、自分の姿が見えないのですから。
ユーチューブに自分の動画をアップしたクレーマーたちも、その時点では自分が正しく、相手が悪いと信じて疑わなかったのでしょう。
しかし、世間の目にはそういうふうには映りませんでした。
自分がネットで叩かれ、個人情報が晒され、そして逮捕され、散々な目に遭ってからやっと初めて気づくのです。
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