徳川吉宗といえば江戸幕府の8代将軍であり、一般には名君としてのイメージが持たれています。
史実でも吉宗は将軍という地位にありながらも質素倹約の生活を送り、享保の改革で米価や物価の安定政策、貨幣政策を行って幕府の財政を安定させたことで知られているからです。
多くの人たちにとって吉宗はテレビドラマの「暴れん坊将軍」のイメージが強烈なのではないでしょうか?
「暴れん坊将軍」での吉宗は、庶民に扮装して町民仲間たちと悪事を暴き、悪人たちを成敗するのです。
しかし、これらは史実とは大きくかけ離れた創作です。
この時代に、将軍がお供もつけずに町中を一人で出歩くことは防犯上ありえないことなのです。
その上、悪人相手の大立ち回りを演じるなどあるはずがない…
吉宗は庶民の要求や不満を直接訴願のかたちで募るための目安箱を設置したり、目安箱の投書から貧しさや病気に苦しむ者の救済を目的とした小石川養生所を設置したりと庶民思いであったことから、このような話がつくられたのでしょう。
また、暴れん坊将軍のウソをもう1つ…
吉宗がクライマックスで「余の顔を見忘れたか?」と 言うシーンがあるかと思います。
悪役の多くは大名家の家老か旗本、大名自身のこともあります。
ただ、家老が将軍の顔を見るチャンスは将軍が大名家の江戸屋敷にお成りになって玄関先で平伏する時ぐらい…
旗本は正月や節句の際に会うことはあっても御簾越しにやはり平伏、大名も挨拶できても御簾越しで平伏なのです。
ですので、ドラマでの悪者たちは、吉宗に「余の顔を見忘れたか?」と言われても、誰もが吉宗の顔なぞ見たことはないのです。
これもドラマの中だけの創作なのでした。
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