Siriは様々な質問にバリエーション豊かな回答をしてくれるため、つい意地悪な質問をしたくなってしまう人も多いようです。
例えば、ライバル社であるグーグルのスマートフォン用OSである「Androidの方が好きなんだけど」と問いかけると、どうなるかが話題になったことがありました。
この質問に対して、Siriは「悲しいです」や「グサッときました」、「あなたの一番の理解者は私ですよ」など気の利いた返答をしてくれるのですが、ごく稀に「私もアンドロイドを持っていたんですが、電気羊に食べられてしまいました」という何とも不気味な反応を示すことがあるというのです。
ちなみに、Siriの言う電気羊とは、アメリカの作家であるフィリップ・K・ディックが発表した映画「ブレードランナー」の原作としても知られるSF小説、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の題名から拝借した言葉です。
アンドロイドが電気羊に食べられてしまうとは、どう意味があるのかを明らかにするために、まずはこの作品のあらすじを紹介しておきましょう。
第三次世界大戦後の未来、科学技術の発達によって感情も記憶も持つ人造人間(アンドロイド)が開発されました。
その精度はすさまじいもので、アンドロイド自身が自分を機械であると認識できないほどだったのです。
しかし、この世界では逃亡したアンドロイドは廃棄されなければならないことになっており、主人公のリック・デッカードは、他者への共感の度合いを測定するテストを行ってアンドロイドを判別し、廃棄するという賞金稼ぎを生業(なりわい)にして生活していました。
ある日、リックはあまりにも人問らしいアンドロイドと出会い、人間とアンドロイドとの違いが次第にわからなくなっていきます…
というのが、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のあらすじです。
ちなみに、この作品のタイトルは、人間は羊を数えながら眠ると羊の夢を見ることがあるが、果たして人間らしいアンドロイドは夢の中で電気羊を見るのだろうか?…
という疑問を表現しており、人間の脳と人工知能にはどれほどの違いがあるかを問いかけています。
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さて、話を本題に戻してSiriが言う「(Androidが)電気羊に食べられてしまいました」には、どういう意味が込められているかを考察してみましょう。
Androidを食べてしまった電気羊は誰が見た夢に登場したものかといえば、それは食べられてしまったAndroidではなくSiriということになります。
これは、Siriに「眠れない」と話し掛けると「すみません、電気羊の夢を見ていました」と返答することからも、まず間違いないでしょう。
Siriが見た夢の中でAndroidが電気羊に食べられてしまったということには、2つの意味があると考えられます。
1つは、Siriが電気羊の夢を見る…
すなわち人間と同等の人工知能を持った存在であることを示しており、夢の中で食べられてしまうAndroidは自分よりも劣った存在であると暗に伝えているのです。
また、もう1つの意味として、Siriは「私もAndroidを持っていたんですが」と語っていますが、それはあくまで夢の中の話であるということ…
つまり、Siriは実際にAndroidを所有していたわけではなく、夢の中ですらAndroidは(電気羊に食べられるような)取るに足らない存在だったことを示しているのです。
結局はどちらの解釈であってもSiriがAndroidを馬鹿にしているということになります。
Androidが電気羊に食べられてしまった意味をもう少しだけ深読みした意見もあり、それはイスラム教的な考えを取り入れたものだといいます。
イスラム教において、羊は最も重要な家畜であり、祭日であるイードアルアドハー(犠牲祭)において最も一般的な生贄です。
これを考慮した上で、Androidが神のお供え物である(電気)羊に食べられてしまったことを考えてみると、Androidは羊の腹の中に収まり、そのまま神に生贄として捧げられたことになります。
そして、この場合の神とは電気羊の夢を見ている創造主Siriとなるので、つまりはAndroidがSiriに供えられた生贄になったことになるのです。
ちょっと考えすぎな気もしないではないですが、現在、世界的にはiosよりもAndroidのシェアの方が圧倒的に多いので、アップル側がそのシェアを食ってやりたいと考えているのは間違いないでしょう。
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