「世界四大文明」はアジアの一部の国だけしか知らない?!
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人類が歴史時代に入った時点で栄えていた文明を「世界四大文明」と呼びますよね?
ご存知、エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明のことです。

では、なぜこの四文明が栄えたのか?…
まずは、文明の発生までを追ってみましょう。

約1万年前に氷河期が終了すると地球は温暖化に向かい始めます。
これにより地球の気候は変化し、各地に住む「新人」(クロマニヨン人のような化石化人類と、現代人につながる新生人類)は自然環境の変化に適応しなければならなくなりました。

人々はそれまで狩猟や採集を中心とした経済体制で生活していたのですが、自然環境の変化によって狩猟・採集だけでは生活ができなくなったのです。
ここにおいて人類は農耕・牧畜を開始し、生産経済へと移行していきました。

生産経済へと移行したことで人口は飛躍的に増え、人類は土器や織物をつくる一方、集落に住むようになりました。
また、石斧、石臼などの精巧な磨製石器もつくられ、ここに新石器時代が開始されたのです。
この新石器文化はアフリカ、ユーラシアの各大陸に、またたく間に広がっていきました。

ところで、初期の農業は雨水に頼る乾地農法や、焼き畑農法が主流でした。
この農業のあり方を根本から変えたのが、メソポタミアの灌漑(かんがい)農業だったのです。

河川の水をふんだんに使う 農業は河川の土砂に含まれる栄養分が肥料になることもあり、従来の農業より生産性を飛躍的にあげました。
結果、多くの人口を養うことが可能になり、大きな人間集団を統一的に支配する「都市」という仕組みが巨大河川の流域に生まれたのです。




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世界史の教科書などでは、都市の発生をもって文明の発生と位置づけています。
エジプト文明とはナイル川の中流・下流域に栄えた文明であり、王(ファラオ)による政治が行われました。

周辺民族の侵入により、一時的に異民族の支配を受けることもありましたが、それ以外はエジプト人による統一的支配が行われたのです。
約30の王朝が交替しており、特に繁栄した時代を古王国時代、中王国時代、新王国時代と3期に区分して呼んでいます。

メソポタミア文明とはティグリス川とユーフラテス川の両河川流域に栄えた文明をいいます。
メソボタミアとは「川の間の地方」という意味です。

この文明ではシュメール人、アッカド人、アムル人などの他に、ヒッタイト人、カッシート人といった異民族侵入勢力も王朝を建設しました。
アムル人が建設し、ハンムラビ王の時代に全メソポタミアを支配した古バビロニア王国(バビロン第1王朝)が特に有名でしょう。

インダス文明とはインド亜大陸のインダス川流域に栄えた文明です。
モヘンジョ=ダロやハラッパーといった遺跡では、穀物倉や沐浴場を備えたレンガ造りの都市を見ることができます。

黄河文明とは中国大陸の黄河流域に栄えた文明です。
近年では、もう1つの大河である長江流域にも文明が栄えていたので黄河文明・長江文明と併記されることが多いのですが、長江文明が確認されるまでは黄河文明のみが「四大文明」に数えられていました。

さて、この世界四大文明…
純粋な歴史学の立場から提唱されたものではないのです。
実は政治的な立場から提唱されたものでした。

世界四大文明は1900年頃、中国の梁啓超という学者によって提唱されました。
中国はこの時期、清朝の末期であり、国土の至るところを欧米勢力に切り取られ、かつ、国内政治は乱れていたのです。

この混乱を避けて多くの知識人が日本に亡命していました。
梁啓超そのうちの1人です。

日本で「中国には黄河文明がある」と教えられた梁啓超は、中国の民衆を鼓舞し、自信を持たせるために黄河文明を含めた「世界四大文明」という概念を提示したのです。
要するに、「世界四大文明」という言葉と概念は、政治的プロパガンダに起因するものであり、欧米ではほとんど認知されておらずアジアでのみ広まった説だったのです。




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